本当の勉強

入学準備

いまの小学生たちと接してもうひとつ残念でならないのが、勉強に対してあまり良いイメージを持っていない子や勉強が苦手で嫌いになってしまう子がけっこう多いという事です。

単純に勉強を社会的な必要性からくる、人間の、できるだけ公平な順位づけのための道具としてとらえるのなら仕方ないのも事実かもしれません。

ただ、本来学問とは、決してつまらない物ではないはず。
学習の土台が出来ていて、条件さえ整えば、本当は誰もが楽しく学んで行けるのではないでしょうか?

そして、土台をはぐくむということと、勉強やその他の様々な事をまだ土台のできていない子供達に教え込むということは、まるっきり反対で、教育者や親の目先の自己満足とひきかえに、まだ土台の育っていない子ども達は、足元のぐらついた不安定な状態の上に、どんどん積み木を積まれていっている様で、いつか簡単に崩れてしまうのではないでしょうか?

様々な土台となる条件さえととのえば、子供は、それが遊びであれ、勉強であれ、スポーツであれ、その子供の成長段階から見て、必要であれば、自ら進んでやろうとするものです。そこには、大人の期待にこたえるために、必死に頑張っている姿はありません。

移動中の車内では、様々な暇つぶし!?  のための様々な活動を取り組めるように配慮しています。お絵かきや、工作、折り紙や、また、将棋のようなものが流行っていたり、編み物のようなものや、知恵を使うパズルやペーパー問題、あげくの果てには、自ら有名小学校のお受験問題などにも挑戦したり・・。

でも、私たちは子ども達にそれらをやってもらいたいから用意しているのではありません。子ども達がそれをやるかもしれないと思って用意しているだけです。やらせるから土台ができるのではなくて、土台があるからやるんだということを、目の前の子供たちが教えてくれているからです。

七歳までは神の子といいます。どの子も、大人が邪魔さえしなければ、すべての子供が自分の成長に必要な事を素直に、ぐんぐん求めて、自ら成長していこうとしています。自分だけの特性、スピードで・・・。

この事実を大人はしっかり受け止め、子供を通して、その子供の成長特性を学び、無配慮な、親切の押しつけのような、教育という名のもとで行われる、子供が、子供らしく生きることを否定するような行為を考え直さなくてはいけないのではないでしょうか?