6月

2019/6/22 土曜日 6:39 PM

「やりたいことを思いっきりやる事の本当の意味」

やりたい事だけやってりゃいいってもんじゃない!!・・・とか

それよりも、やらなくちゃいけない大切なことがあるでしょ!!・・・とか

思うのは自然なこととして世の中での当たり前になっていると思います。

普段あまり意識しないけど、やらなくちゃいけないことって、ほんとはやりたくないけどやるべき事という意味で使われてる。

でも、ちょっと待って。そのホントはやりたくないけど「やらなくちゃいけない事」って、ほかの人にとってはホントに心から「やりたい事」であったりする。

例えば仕事。いま年金問題で老後の事が騒がれてるけど、ホントはやりたくないけどやらなくちゃいけないから真面目に仕事してる人にとっては、65歳で定年になって豊かな年金暮らしをしたいと願っているのは本当に分かる。

でも、その一方で仕事が生きがいで、死ぬまで現役で仕事したいと考えている人も少なくない。

仕事がつまらないのは会社や仕事と働く人のありかたの問題という事もある。例えば日本の企業で働く人は、アメリカなどの企業で働く人よりやりがいを見出しにくいというデータもあってシステムの問題という側面も確かにあると思うんだけど・・・

それよりももっと大きな要素として、やりたい事を大切にしないで我慢するのが美徳とされる国民性があるような気がする。

やりたくない事をやりたい事に変えることができる力を大きく育てていくために、何が必要かという事を考えた場合、本当にやりたいことをあきらめずに思いっきりやり続けて、その人がより物事の深さを知っていって成長し続けるなら、今まで仕方なくやっていた、仕事や勉強や家事や育児を心からやりたいことに変えてる事ができるのでは?

やらなくちゃいけないと思ってやる仕事と、やりたいと思ってやる仕事、どっちがいい仕事が出来てより社会に貢献できるかなんて容易に想像できる。

方法はともあれ、やらくちゃいけない事は、心からやりたいことに変えることができるとボクは信じている。

自分自身の心の鎖を断ち切れずに奴隷のように一生を終えるかどうかは、ほかの誰のせいでもなく結局は自分次第だと思う。

やりたくないことが多すぎて、やりたい事に逃げた!?我慢のできないダメなボクは、やりたい事で死ぬほど我慢させられたり、結局はやりたくなかったことまでもが、やりたい事にどんどん変わっていくことになった。

今では、やりたい事から逃げない事、それがボクの高ーいハードルとなってボクの前に立ちはだかっているような・・・。

おしまい。インスタも見てくださいね。#森と地球の子ども園 です。

6月

2019/6/16 日曜日 6:53 PM

いろいろと悩んだり・・・

いつまでも何かをさがしていたり・・・

不自由を感じて必死でもがいていたり・・・

ボクはいつまでたっても未熟で未完成・・・。

こんな風に完成された美しさからは程遠いような・・・。

長い道のりを・・・

いまさら歩き始めたばかりのような・・・

ずいぶんスタートが遅れてしまったような気持ちになって・・・

ため息が出そうになる・・・

感じるままに今を生きて・・・

だからこそ未来の自分の姿なんて、いつまでたっても不確かなままで・・・。

でもなぜかボクには、たとえどんなことになっても後悔しない自信がある。

なぜならボクは、心からまもりたいと思うものを・・・

少しだけかもしれないけれど、まもる事ができているという実感があるから。

子どもたちがありのままでいられる本当の意味での「自由」。

それを守るという事が、ボクが見つけたボクの生きる力。

そのためなら、なぜか力が湧いてくる。

感謝!!

 

5月下旬

2019/6/9 日曜日 7:36 PM

今週末は、保護者様の方々主催でモリチキュ卒園組と在園組の関係者のバーベキューをいつもの場所で開催していただきました。

とっても楽しい時間をありがとうございました。

あくまで、プライベートな活動としてボクから始めさせてもらったこのイベントですが、今では、保護者さんたちの自主的な活動と言えるようなところまで皆さんのお力で発展してきたことをとっても嬉しく思っています。

 

自主的というところに、とっても意味があると思っているからです。

保護者さんたちの、保護者さんたちによる、保護者さんたちのための活動がこれからもどんどん発展していけるように・・・

ボクはみんなのためにできるだけ・・・サボる^^。

そのお詫びに、ボクはボクにしかできないことを思いっきり・・・やれればいいんだけど・・・^^。

 

あっ、それと昨日はそのあと、年長さんたちと毎年恒例のホタル観賞会にも行ってきました。

やっぱりホタルはいいですねぇー!!

 

その様子は、インスタで少しだけ見てもらえると思いますが・・・

今日は朝からソフトボールの試合があって帰ってきたら寝ちゃって・・・^^。

リリーフで投げさせてもらって、9点も取られた^^。

 

一体いつになったら使い物になるんだろうと、自分にあきれる^^。

でも、まだ解決できそうな課題が山ほどあってそれが見えているから・・・

まずは、その課題を一つひとつ乗り越えるまでは・・・

それほどは落ち込まないし、まだあきらめる気持ちにもなれない。

まだ出会ったことのない、自分に会いたい気持ちのほうが強い。

 

自分に素直に生きていたい。

目の前の子どもたちのように!!

 

子どもたちに背中を押してもらっているボクが・・・

子どもたちのために・・・

一体なにができるのだろう?

ボクにしかできない何か・・・。

言葉ではうまく言い表せないけど・・・

生きていくために、本当に大切な何か・・・。

ボクがいちはばん大切にしている何か・・・。

この世の中で、たった一つ、信じることができる何か・・・。

それを、ボクは表現しようと・・・

毎日、もがいてる^^。

子どもたちのまっすぐな目が、いつもボクを見ているから・・・。

そのまなざしに、心から感謝してます。

では、また来週!!  インスタも見てくださいね!!

#森と地球の子ども園 でーす。

五月中旬

2019/6/2 日曜日 9:21 PM

今日は一日中おしゃべりしちゃってスッキリしたので(相手はお気の毒?)もう書くこと思いつかない^^。理屈こねてると感覚にぶるから、今回は理屈抜きに、感覚を研ぎ澄まして、じーっくりと写真を見てもらってどんな感じとか印象とかをふかーくふかーく堪能してくださいな!! ってあれっ? もしかしてちーちゃんカメラマンはボクをとっくに超えちゃってる!?  今のボクにこれ撮れるのかな? まあいいか^^。

では、じーっくりと・・・

理屈抜きで・・・

大切な感覚だけを頼りに・・・

言葉のない世界へ・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

言葉で処理しないで・・・

感覚を頼りに・・・

言葉が物事を見えにくくしているということもあるから、言葉なしで感じる何かを大切に・・・

言葉のない世界へ・・・ってこのコメントの言葉が邪魔やん^^。

・・・

・・・また来週!!  インスタもやってまーす。#森と地球の子ども園 でーす。

5月前半

2019/5/25 土曜日 12:19 PM

5月の前半はゴールデンウィークが長かった事もあって勝尾寺園地を中心に少しのんびり過ごしたような感じです。子どもたちのバイオリズム?(ボクのだったりして^^)になるべく合わせた活動内容にして、より実りのある日々を実現できればと思っています。

まずはお誕生日おめでとう!!

そして、今週も独り言・・・!?

テーマは・・・

義務と愛・・・ってオイオイ^^。

なんていうと普段あまり意識しない問題でピンとこない?

もう拒絶反応が出ちゃって読む気がしない?

それは強いコンプレックスの存在の証明です^^。

でも、このテーマほどすべての人に、深く大きく影響を与えているものはないはず。なのにできれば蓋をしてしまいたくなる。

 

 

そこで勇気を出して自分に自問する。

これが愛のある生活だろうか?

ある人は愛にあふれているというかもしれないし、あるいは自分の周りには愛なんて存在しないという人もいるかもしれない。

でも、もしかして

愛は誰の心の中にも確かに存在しているけれど、それがある条件、環境の下で大きくなったり、小さくなりすぎて見えなくなったりするものだったりして?

愛が単なるDNAに刻まれた情報だなんて信じられないけど・・・。

でも、自分の事や周りの人をよーく観察しているとなんか法則が見えてこない?

少し視点を変えて、私たち日本人でいうと、価値観というか心のよりどころになっているものはなにか? 

その答えの一つが、日本や日本人の事を世界がまだ知らない時代に日本人の精神を英文の著書で広く世界中に広めた、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造の武士道という本。

時のアメリカの大統領がそれを読んで感動して部下に配ったという有名な著書。当時の危機的な日本の状況を外交面で救う事にも貢献したという。

それを知って図書館で借りて読んでみた。

 

そこに出てくる「正義の道理」である「義理」

義理は本来義務以外の事を意味していないとある。

たとえば、親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。と書いているけどここでは、あえて「親の子どもに対する行為においては愛情が唯一の動機である」と解釈してもさしつかえないと思う。

そして、その続きに「だが万一、愛情が持てなくなった時には何か別の権威が必要である。そのような事実から義理は生まれたものだと思う。」としている。

 

ちょっと難しい言葉に思うかもしれないけど要は、愛情があればただそれだけでいいんだけど、現実はそうはいかないから「しなければいけない」事を妥協策として決めちゃったって事。

ここで最も大切なことは、「しなければいけない」事が最大の目的ではなくて、「愛」こそが最大の目的だということ。

「しなければいけないことは」愛が大きく育つまでのピンチヒッターに過ぎず、その役割がなければ、「しなければいけない」という事は人から本当の理解を奪って支配するための道具でしかなくなる。

本当の愛は理解する事とつながっているので「盲目的に権力に従う民を作り出して支配しようとする権力者」にとっては真の愛は危険思想であり、逆に道徳的な義務感を様々な方法で深く植え付けることでその支配力を強めてきたという事は多くの歴史が物語っている事実。

それでも理解とともに少しずつ愛が育っていく・・・。

ここでいう愛とは、感情である「好き」とか「嫌い」とかいうものではなく、むしろ感情を乗り越えたところにあるものであることはわかっていただけると思う。例えば、子ども好きな人は結局、子ども嫌いの人とおんなじで本当の愛、つまりより深い理解に乏しい。愛は盲目とは、「感情」である「好き」という感情を本当の愛と混同して、混乱を招いている象徴的な言葉ではないでしょうか?「好き」は愛の育ちのきっかけ、始まりに過ぎないというのに!?

見守り保育だって、義務感から解放された保育者が実際の経験とともに時間をかけて自分を理解できた分だけ、自分を愛せるようになった分だけ、子どもを信じて、その「愛」ゆえに結果として見守ることになるという事が本来の意味であって、けっしいて形だけ見守り保育を模造しても、本来の「愛」とはまるで別物になってしまう。

ボクも例にもれず同じ失敗をしてるからそれはよく分かる。

そしてもう一つ重大なことは、心理学的な解釈でいう、「しなければいけない」という気持ちが大きくなれば、つまり強迫観念が、強くなれば強くなるほど、人は「そのもの自体の意味が分からなくなる」という事実。

私たちは、様々な人やメディアから、子どもを「よりよく育てなければいけない」と日々刷り込みをされている。

その結果、強迫観念が強くなっていき、人として自然な子育て、すなわち経験と理解からくる「愛」を大きく育てていけなくなってしまう。

「愛」は感覚的なことであるのに「しなくてはいけないこと」すなわち理屈ばかりが膨らんで、子どもの事でイライラしたり怒りを覚えたり不安にさいなまれたり・・・。

それらはすべて「しなければならない、こうあらねばならない」という義務感できつくしめつけられて小さくなって苦しむ「愛」の悲痛な叫びと考えらはしないだろうか? 

人類は物事に対して理解するということを発展させて進化してきた。きっとこれからも命をつなぐためにその方法で進化しようとしている・・・???(理解にも愛と同じで本当の理解とそうでない理解があるけどその話はまた今度にするとして、ここでいう理解は本当の理解であることが前提。)

だとすると、心配しなくても愛はすべての人のDNAかどこかにしっかりと刻み込まれているはず。なのに私たちは自分の愛が信じられないから他人の愛も信じられないままで「しなければならない」事で自分と相手をきつく縛り付ける。

いったいどれほどの人が、この事実を知らされずに自分を愛することができずに、あるいは他人を愛していると信じ込もうとして苦しんでいることか・・・。

そして、それを意図的にコントロールしている「誰か」がいる。

育児に関する問題だけでなく、この世の中すべての問題、仕事、家事、教育、政治、経済、人種や性別などが「しなければならない、こうあるべき」という強迫観念に本当の理解を阻まれていることか・・・。

そして強迫観念をコントロールして誰かが世界をコントロールしている!?

愛さなければならないと考えたら、人は本当に愛することが難しくなる。

なら、どうすればいいか?

答えは・・・、風の中^^。

・・・って、今回の独り言はひどすぎで誰もついてきていない自信あるけど万一、最後まで読んでくださった方がいたらごめんなさい。そして、その「愛」にありがとうございます。なんちゃって、また来週!!

 

 

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