五月中旬

2019/6/2 日曜日 9:21 PM

今日は一日中おしゃべりしちゃってスッキリしたので(相手はお気の毒?)もう書くこと思いつかない^^。理屈こねてると感覚にぶるから、今回は理屈抜きに、感覚を研ぎ澄まして、じーっくりと写真を見てもらってどんな感じとか印象とかをふかーくふかーく堪能してくださいな!! ってあれっ? もしかしてちーちゃんカメラマンはボクをとっくに超えちゃってる!?  今のボクにこれ撮れるのかな? まあいいか^^。

では、じーっくりと・・・

理屈抜きで・・・

大切な感覚だけを頼りに・・・

言葉のない世界へ・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

言葉で処理しないで・・・

感覚を頼りに・・・

言葉が物事を見えにくくしているということもあるから、言葉なしで感じる何かを大切に・・・

言葉のない世界へ・・・ってこのコメントの言葉が邪魔やん^^。

・・・

・・・また来週!!  インスタもやってまーす。#森と地球の子ども園 でーす。

5月前半

2019/5/25 土曜日 12:19 PM

5月の前半はゴールデンウィークが長かった事もあって勝尾寺園地を中心に少しのんびり過ごしたような感じです。子どもたちのバイオリズム?(ボクのだったりして^^)になるべく合わせた活動内容にして、より実りのある日々を実現できればと思っています。

まずはお誕生日おめでとう!!

そして、今週も独り言・・・!?

テーマは・・・

義務と愛・・・ってオイオイ^^。

なんていうと普段あまり意識しない問題でピンとこない?

もう拒絶反応が出ちゃって読む気がしない?

それは強いコンプレックスの存在の証明です^^。

でも、このテーマほどすべての人に、深く大きく影響を与えているものはないはず。なのにできれば蓋をしてしまいたくなる。

 

 

そこで勇気を出して自分に自問する。

これが愛のある生活だろうか?

ある人は愛にあふれているというかもしれないし、あるいは自分の周りには愛なんて存在しないという人もいるかもしれない。

でも、もしかして

愛は誰の心の中にも確かに存在しているけれど、それがある条件、環境の下で大きくなったり、小さくなりすぎて見えなくなったりするものだったりして?

愛が単なるDNAに刻まれた情報だなんて信じられないけど・・・。

でも、自分の事や周りの人をよーく観察しているとなんか法則が見えてこない?

少し視点を変えて、私たち日本人でいうと、価値観というか心のよりどころになっているものはなにか? 

その答えの一つが、日本や日本人の事を世界がまだ知らない時代に日本人の精神を英文の著書で広く世界中に広めた、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造の武士道という本。

時のアメリカの大統領がそれを読んで感動して部下に配ったという有名な著書。当時の危機的な日本の状況を外交面で救う事にも貢献したという。

それを知って図書館で借りて読んでみた。

 

そこに出てくる「正義の道理」である「義理」

義理は本来義務以外の事を意味していないとある。

たとえば、親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。と書いているけどここでは、あえて「親の子どもに対する行為においては愛情が唯一の動機である」と解釈してもさしつかえないと思う。

そして、その続きに「だが万一、愛情が持てなくなった時には何か別の権威が必要である。そのような事実から義理は生まれたものだと思う。」としている。

 

ちょっと難しい言葉に思うかもしれないけど要は、愛情があればただそれだけでいいんだけど、現実はそうはいかないから「しなければいけない」事を妥協策として決めちゃったって事。

ここで最も大切なことは、「しなければいけない」事が最大の目的ではなくて、「愛」こそが最大の目的だということ。

「しなければいけないことは」愛が大きく育つまでのピンチヒッターに過ぎず、その役割がなければ、「しなければいけない」という事は人から本当の理解を奪って支配するための道具でしかなくなる。

本当の愛は理解する事とつながっているので「盲目的に権力に従う民を作り出して支配しようとする権力者」にとっては真の愛は危険思想であり、逆に道徳的な義務感を様々な方法で深く植え付けることでその支配力を強めてきたという事は多くの歴史が物語っている事実。

それでも理解とともに少しずつ愛が育っていく・・・。

ここでいう愛とは、感情である「好き」とか「嫌い」とかいうものではなく、むしろ感情を乗り越えたところにあるものであることはわかっていただけると思う。例えば、子ども好きな人は結局、子ども嫌いの人とおんなじで本当の愛、つまりより深い理解に乏しい。愛は盲目とは、「感情」である「好き」という感情を本当の愛と混同して、混乱を招いている象徴的な言葉ではないでしょうか?「好き」は愛の育ちのきっかけ、始まりに過ぎないというのに!?

見守り保育だって、義務感から解放された保育者が実際の経験とともに時間をかけて自分を理解できた分だけ、自分を愛せるようになった分だけ、子どもを信じて、その「愛」ゆえに結果として見守ることになるという事が本来の意味であって、けっしいて形だけ見守り保育を模造しても、本来の「愛」とはまるで別物になってしまう。

ボクも例にもれず同じ失敗をしてるからそれはよく分かる。

そしてもう一つ重大なことは、心理学的な解釈でいう、「しなければいけない」という気持ちが大きくなれば、つまり強迫観念が、強くなれば強くなるほど、人は「そのもの自体の意味が分からなくなる」という事実。

私たちは、様々な人やメディアから、子どもを「よりよく育てなければいけない」と日々刷り込みをされている。

その結果、強迫観念が強くなっていき、人として自然な子育て、すなわち経験と理解からくる「愛」を大きく育てていけなくなってしまう。

「愛」は感覚的なことであるのに「しなくてはいけないこと」すなわち理屈ばかりが膨らんで、子どもの事でイライラしたり怒りを覚えたり不安にさいなまれたり・・・。

それらはすべて「しなければならない、こうあらねばならない」という義務感できつくしめつけられて小さくなって苦しむ「愛」の悲痛な叫びと考えらはしないだろうか? 

人類は物事に対して理解するということを発展させて進化してきた。きっとこれからも命をつなぐためにその方法で進化しようとしている・・・???(理解にも愛と同じで本当の理解とそうでない理解があるけどその話はまた今度にするとして、ここでいう理解は本当の理解であることが前提。)

だとすると、心配しなくても愛はすべての人のDNAかどこかにしっかりと刻み込まれているはず。なのに私たちは自分の愛が信じられないから他人の愛も信じられないままで「しなければならない」事で自分と相手をきつく縛り付ける。

いったいどれほどの人が、この事実を知らされずに自分を愛することができずに、あるいは他人を愛していると信じ込もうとして苦しんでいることか・・・。

そして、それを意図的にコントロールしている「誰か」がいる。

育児に関する問題だけでなく、この世の中すべての問題、仕事、家事、教育、政治、経済、人種や性別などが「しなければならない、こうあるべき」という強迫観念に本当の理解を阻まれていることか・・・。

そして強迫観念をコントロールして誰かが世界をコントロールしている!?

愛さなければならないと考えたら、人は本当に愛することが難しくなる。

なら、どうすればいいか?

答えは・・・、風の中^^。

・・・って、今回の独り言はひどすぎで誰もついてきていない自信あるけど万一、最後まで読んでくださった方がいたらごめんなさい。そして、その「愛」にありがとうございます。なんちゃって、また来週!!

 

 

4月の活動

2019/5/19 日曜日 4:13 PM

パソコンが故障してしまって長い間お休みしていたので4月は超特急でいきまーす。もう誰も見てないかもしれないけど元気だしていこーっ^^。

さくらが咲く木の下で始まる新しい生活。

年長さんが卒園して、子どもたち全員の人間関係も一から新しく構築することになるので・・・

毎年一番大変な時期ともいえますが・・・

時間とともに必ず落ち着くところに落ち着きます。

それまでは、お母さんたちのバックアップも特に大変かと思いますが・・・

子どもたちの苦労がどれほど将来大きな実を結ぶかに思いをはせて・・・

ご協力お願いしまーす^^。

さて問題です。

苦労から遠ざけて育てたら子どもの可能性は広がるでしょうか?

それとも狭くなりますか?

答えはいつも風の中^^。

自分らしく生きるなら、苦労はつきもの。ハッピーエンドの前には必ず苦労があるはず。苦労を乗り越えてないハッピーエンドなんてホントのハッピーエンドなのかもよくわからない???

そして、これからの時代は自分らしさの時代。

通り一遍の事や誰かの真似なら全部AIがもっとうまくやっちゃう。

問題はそれらを使って何をするかということが問われる。

そして自分は世界でたった一人の存在であり、それを開花させることでのみ存在の意味が見いだせるという時代がやってくる!?

人と同じではダメ、あなたらしさがなければ意味ない、ってなったらどうする!?

頭を切り替えるには、まずしがみついているものを手放す勇気が必要!?

でも、今しがみついているものが、自分を心から笑わせてくれるものでないと気づいたとしたらどうだろうか・・・?

時代の流れに逆らうほうがリスキーということもあるし・・・。

若いうちの苦労は買ってでもしろって昔の人はよく言ってたけど・・・

今じゃ死語?

中間管理職あたりの中年の引きこもりが流行ってるのも、その人たちだけのせいじゃないと思う。

若いうちってのは、けっこう大切なポイントなのかも。

この子たちの人間関係の問題を乗り越える力は大人の比じゃないってこと、ボクは知っているから。

大体の大人は自分より子どもが弱いと思ってるから子どもが苦労するのを見ていられない。そもそも自分だってそんなに強くないんだからなおさらのこと。

でも3才にもなりゃ人間関係のことだって既にかなり多くの事を学んでる・・・。

ある意味、もう中間管理職の子だっているし^^。

自由な子供だけの社交界に入社してたらだけど・・・^^。

親や大人の知らないところで・・・

こどもは育つ!!   きっとそこには苦労があるからかも!?

・・・ってとりとめのない独り言に付き合ってくれた方がいるなら、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

では元気だしてまた来週^^。 

おしまい。

 

勝尾寺園地・卒園式

2019/5/12 日曜日 5:12 PM

3月

お休みしていたブログを再開いたします。

パソコンが故障してしまってそこからお休みしている間に新しいライフスタイルが始まってしまってついこんなに休んでしまいました。

自己啓発のための時間を増やして、より充実した活動内容になるよう

これからは週一ぐらいのペースでブログを続けていけたらと思います。

まずは、卒園式の様子から。

入園してからここでの生活について振り返っています。

楽しかったことや・・・

悲しかったこと・・・

いろんなことがあったけど・・・

今はすべてが思い出となって心の中に生き続ける。

引っ越ししていった君も新しい幼稚園になれたかな?

小学校の生活はどうだい?

いいことばかりじゃなくて、つらいこともたくさん乗り越えてきた君たちなら・・・

つまづいても自分を見失わずにしっかりと歩いていけるかな?

最後は胴上げだーっ!!

ワーッショイ!!

わーっしょい・・・って、重っ!!

この後のスキーの二泊三日のお泊り会はインスタで見てくださいね。

卒園しても、サマーキャンプやらいろいろあると思うので、その時まで君たちの成長を楽しみにしているよっ!!

おしまい。

 

エキスポの森・勝尾寺園地

2019/2/12 火曜日 6:04 PM

1/18.21.22

最近、児童虐待で子どもが死亡した事件がテレビで取り上げられている。
ホントに悲しくて残念な事件だと思う。
でも、テレビのコメンテーターの感情的な反応に違和感を感じるのは私だけだろうか・・・。
こういう悲しいことを少しでも減らしていく事を本気で考えるのなら、どうして、自分の子どもを殺してしまったのか、あの親の気持ちを本気で理解しようとしなければ根本解決はありえなはず。
なのに、感情的になってヒドイ親、ヒドイ管理者と全否定するだけ。
相手の立場に立って物事を考えるという基本的な思いやりのかけらもない社会の風潮そのものが、悲しい事件を作り出しているという事に気付けないでいる。
理解しようとせず、怒りをあらわにして、いくら正義の味方のつもりでいても、自分が人殺しの片棒を担いでしまっている事に、絶対言い訳はできない。けど、思いやりのない人の正体は、結局本当の思いやりを自分が受けてこなかった人。だとすると解決策はただ一つ。思いやりのある人が、思いやりのない人をもっともっと思いやる事しかない???
残念ながら今は社会全体の責任で起こっている事を、たった一人の悪者を作り出すことで責任逃れしてしまっている。
殺された子供と同じだけの気持ちを、自分の子どもを殺してしまった親にも持つことが出来ないだろうか・・・。
悪魔なんかじゃない、同じ人間として・・・。
この世の中は、差別と偏見であふれている。
だからこそ、相手の立場に立つという当たり前の、小さな思いやり・・・
怒ってるから無理か・・・。
そして、テレビの中では、責任者を自殺に追い込みかねない、思いやりのかけらもない態度で感情をあらわにしてせめ立てる。
ボクにはその人も人殺しに見えてきて仕方がないのだけれど・・・。ヒトは、認めたくはない自分の姿が相手に映って見えると、怒りをあらわにするものだから。沢山の親と子どもに関わる仕事をしている立場から、今回は児童虐待についてお話しさせていただきましたが、最後に、虐待は人間なら誰にでも起こりうる心理状態であるという事。そして、決して虐待してしまう事を一人で悩んだり、自分を責めたりせずに、まずは相談してほしいと思います。それ以上自分自身と子どもを傷つけないために。おしまい。

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